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竹内まりやとわたくし [音楽]

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■ファン歴35年超にして、初めてライブに行けることの記念エントリ。ライブの感想は後日別エントリで。

■わたくしがめちゃくちゃ山下達郎さんを崇拝してるのは、知ってる人は知ってると思うけど、実はファンになったのは奥様のまりやさんのほうが先だったのだ。まりやさんがデビューしたのは1978年のアルバム『BEGINNING』で。当時中坊のオレからするとイメージは「洋楽が得意な垢抜けたお姉さん」だった。しかも田舎の都会大好きの中学生(結局大学では行ってないけどね)には眩しいくらいの「慶應義塾大学文学部英文科在籍中」(笑)。ちなみに達郎さんのファンになったのは高2の時なので(「山下達郎とわたくし」参照)、まりやファンになったのが先だったことになる。初期から達郎さんはコンポーザー・アレンジャーとして参加していたし名前はもちろん知っていた。有名なのは「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風」のシングル・バージョンが、ドナ・サマーの当時の楽曲「アイ・リメンバー・イエスタディ」に酷似してると問題になったので、アルバム・バージョンで急遽達郎さんがリアレンジをしたことかな。紆余曲折を経て、オリジナル・バージョンはベストアルバム『Expressions』に収録されてるけどね。

■しかし一時期、かなりアイドル的な扱いをされてたのは確か。オレはそういうふうにはまったく見てなかったんですが。まあ今はなき「ザ・ベストテン」で『不思議なピーチパイ』を歌ってるのを見た記憶があるし。確かに当時は本人作詞・作曲の曲は少なかったけど、ヴォーカルにすごく存在感があったし、未だにまりやさんが歌っている『September』(松本隆/林哲司)などの名曲もあった。

■山下達郎さんとの結婚後しばらく休業。1984年にシングル『もう一度』、アルバム『VARAETY』で活動再開。全曲本人作詞作曲。で、『もう一度』はTBSの当時の金曜ドラマ「くれない族の反乱」の主題歌になった。故:大原麗子さん主演の、まあ不倫ドラマ。しかしこれが30年前と考えると気が遠くなる。

■その曲『もう一度』が本当に凄かった。本人作詞作曲で、編曲&プロデュースが山下達郎。それまでのまりやさんのイメージを拭い去るくらいの曲。特にコーラスアレンジで山下達郎のオーバープロデュース感は拭えないところはあるけど(達郎さんの曲みたい)、新生まりや感が強かった。「オシャレなお姉さん」カラーを捨てたら図らずもよりオシャレになってしまったような。

■そこから先、ヒットを連発しつつ寡作ながらアルバムをリリースしつつ現在に至る。って30年のまとめがこれだとあまりに雑か。薬師丸ひろ子、中山美穂、観月ありさ、牧瀬里穂、広末涼子などなど、当時としてはアイドル系の歌手への楽曲提供も多かった。長いスパンでのアルバムのリリースごとに作品は深化してるというのが明らかだし、待ちぼうけの時間は長かったけど決して飽きはしなかったと思う。夫君の達郎さん同様。

■残念だったのが、夫君の達郎さんと比べるとライブの回数はかなり少ないこと。2010年の武道館ライブのチケットは奇跡的に取れたのだけど、当日、もの凄く体調が悪くなって行けなかった。かえすがえすも残念。しかし捨てる神あれば拾う神ありで、今年(2014年)のライブのチケットが取れたのだ! 仙台なんで遠征なんですけどね。

■しかも、まりやさんも旦那に負けず劣らず映像での露出が少ない。ライブDVDとかもリリースされてないし、TV番組拒否ではないのだけど(NHK「SONGS」とかに出演)こちらもかなり稀な部類です。

■まりやさんの魅力は、楽曲ももちろんなのだけど、日本歌謡曲(あえて言う)史上、その類まれなるヴォーカルだと思ってる。夫婦のユニットという点では、松任谷正隆・ユーミン夫妻と似たところはあると思うけど、ヴォーカルの力量では、ユーミンはまりやさんに遠く及ばない。まあライブの回数が比較にならないので(もちろんユーミンが全然上)声量の保存とかの反論はあると思うけど、結論はひとつ。残念ながら生まれながらの声量の差です。

■個人的にはアメリカン・ポップスの数多いスターに比肩すると思ってる。なのでライブで聴けたらそのまま幸福過ぎて死んじゃいそうです。

■繰り返しになりますが、仙台ライブは後日別エントリで感想を書きます。

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