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さよなら、大滝詠一さん [音楽]

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■2013年の大晦日。近所の蕎麦屋で年越し蕎麦が来るのを待ってたぼく(このエントリ限定の一人称)は、手持ち無沙汰でiPhoneを見ていた。そこで、「大滝詠一さん急逝」というニュースを目視した。ものすごく感情が混乱した。蕎麦が来たが喉を通らないというと大袈裟だし嘘だ。食べた後自宅に急ぎ戻ったのだが、途中iPhoneで大滝さんの曲を聴いていると涙が止まらなかった。これは事実。自宅に戻りTVとPCの電源を入れて、事実を受け入れざるを得ないことを悟った。

■もうぼくも50歳を過ぎてるので、年相応にいろんな死に立ち会った。親族や友人・知人の死の衝撃は当たり前だけど、こちらだけが一方的に知っているミュージシャンの訃報では、今までで一番ショックを受けた。大滝詠一さんが、勝手ながら自分の人生のいかに大きな部分を占めていたのかを思い知らされた。

■同世代の人の大部分がそうであるように、大滝詠一さんの音楽との出会いは、1981年のアルバム「A LONG VACATION」だった。1曲目の「君は天然色」には本当に衝撃を受けた。なんという豊饒な音楽なのだろうかと。エンディングのピアノのパートなど、自分がそれまで意識下で期待していた理想の曲の締め方に出会ったような気がした。

■その年は高3だったので、受験勉強は「ロンバケ」と山下達郎さんの「FOR YOU」を聴きながら乗り切った。大学に入ってからはそれまでに大滝さんがリリースした大量のアルバムを追体験しつつ、それを糸口としてフィル・スペクターやモータウンを聴くようになった。大滝さんが初めて日本語をロックに載せた伝説のバンド、「はっぴいえんど」の一員だったというのもすべて後付けで知ったことである。

■大滝さんの日本のポップスにおける多大な功績は、すでにたくさんの方が語っているし、多くのミュージシャンが追悼の意を示していることから、ここで触れるまでもない。自分の曲だけではなく、他者への楽曲提供も多かった。松田聖子、薬師丸ひろ子、太田裕美、沢田研二、森進一、小林旭、ラッツ&スター、須藤薫・・・などなど、書き切れない。

■しかし、ぼくが初めて触れた「ロンバケ」以降はそれまでの多作が嘘だったかのように寡作になり、そのあとの30年でアルバムは「ナイアガラ・トライアングルVol.2」「EACH TIME」の2枚のみで、シングルは「バチェラー・ガール」「幸せな結末」「恋するふたり」の3枚。ライブももちろんやっていない。焦らされ続けた30年だったけど、それでも日常の中にいつも大滝さんの音楽はあった。

■願わくば、盟友・松本隆とのコンビの新曲を聞きたかったけど、詮ないことだ。大滝さん、安らかにお眠りください。

■「いつまでも あると思うな ナイアガラ」・・・でもなんか辛いです。


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